「ワタシと型枠の出会い」

長いもので、あの時ほんのアルバイトで始めたはずの「型枠大工」も気が付けばすでに 35

年以上やっていることになる。


当時、学校を卒業後ダラダラしていたワタシを見かねた母が、すでに現場で大工をしてい

た五歳上の兄に弟を仕事に連れて行ってほしいとお願いしたのをきっかけにワタシは初め

て建設現場に足を踏み入れた。

確か陸上競技場内の小さな公衆トイレの現場だったと思う、「B セパ」と呼ばれるネジ切

りされた鉄の棒に「木コン」と呼ばれるものを取り付けるのがワタシにとって「型枠大工」

としての初めてのミッションだった。その日親方が無口で怖くて、材料の名前も用語も全く

わからずただただしどろもどろしていた記憶しかない。

普通のアルバイトをして時給 3-400 円程度の時代に一日働いて 7000 円もらえたこのバイ

トは当時バイクや車に興味のあったワタシにはそれはとても魅力的で最初はひと月程だけ

手伝ってやめようと思っていたがお金につられてついつい続けることとなった、人生なん

て安易なきっかけでどうなるかもわからない。そんなものなのかもしれない。

ムツゴロウを倒して動物王国の国王になるという少年の夢は終え、結果としてワタシは

これまで一度も就職も就職活動もすることなく、あの日兄に現場に連れてこられたまま現

在に至る。

ワタシにとって天職だったのか、そもそもワタシにはほかに務まる職業などなかったの

かは定かではないが今もなおワタシは「型枠大工」でいる。


実はワタシと型枠との出会いは 18 歳のあの日ではなくもっともっとさかのぼる。

小学校 3 年生か 4 年生のある日、いつも遊んでいた児童公園に車を乗り入れするためのス

ロープを作るためのとても小規模ではあるが「型枠工事」が行われた。

当時いろんなことに興味津々だった少年は職人さんたちがすでに帰ってもういない現場を

観察してみた。当時は名前なんて知らなかったがワタシの記憶では「鋼管」「サポート」「S

型金物」「ホームタイ」「セパレータ」などを見つけてこれは何なのだろうとはてなマークい

っぱいで楽しかった記憶がある。にわかなるアドベンチャーだった。

すでに時効であるからカミングアウトするが、その日少年は事もあろうに現場から「チェ

ーン」2 本と 250 mmくらいの「セパ」5-6 本、「ホームタイ」もしくは「木コン」10 個ほど

を拝借し日頃自分たちが基地と呼ぶものを建設していた近所の森の中に持ち込み 2 本のチ

ェーンの間にセパレータをホームタイで固定してできたものを木にぶら下げ、見事に「吊り

はしご」を完成させた。

ただただ懺悔の念に駆られるのだが、思えばこの少年にはすでに「型枠大工」としてのセン

スがあり、さらにこの時の少年の悪行がワタシを今もなお「型枠業界」に縛り付けえる「何

ものか」であるのかもしれないなどと今となっては考えている。


ひとまずはワタシと「型枠」の馴れ初めみたいなことをちらっと書いてはみたが、今後は

建設業界、型枠業界においてワタシの経験した事や知識、エピソードなどを面白おかしく書

き留めていこうと思ってはいる。

何分これは持って生まれた性格というか特徴というか、色んなことに興味がありすぎて

やるべきことをほったらかすというワタシには社会人として完全に失格な性質があり、よ

って次がいつになるか不安であるが、今以上に「型枠大工」の認知を高め、この職業のすば

らしさを世の人たちに知ってもらうために自分の年老いた尻を叩いてみようと思う。

かっこよく言えば大儀はこうだ

--すべての「型枠大工」のために--


つづく

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